研究内容 ~光の波動性を利用した新しい光物性物理学~

「光物性」とは、読んで字のごとく「光」で「物」の「性質」を調べたり あるいは積極的に操ることを試みる研究分野です。 私たちの研究室では、様々な波長域の光源を用いたり、 あるいは光源が無い場合はその開発を進めながら、 物性物理研究を進めています。 特に光波のかたちを直接見て、 その変化の様子を観察することができる 「テラヘルツ光源」に興味を持ち、 その精密計測技術・物質制御技術の開発に努めています。 また磁気イメージングにも力を入れており、ナノ~マイクロメートル スケールの磁気構造を観察する技術開発も進めています。

1. テラヘルツ光とは?


 私たち人類は様々な周波数(振動数)帯の「光」を使って 物を観察したり、物の性質を変えたり、あるいはそのエネルギーを 電気エネルギーに変換したりすることで生活に役立てる工夫をしてきました。 中でも人間の目に感度のある「可視域」の光の研究が活発に進められており、 特にレーザーの発明によって位相の揃った極めて良質な光パルスが 実現したことによって、光の時間波形を制御することによる 様々な光物質制御の研究が行われています。

 そのような中で、私たちは可視光よりも振動数が1/100~1/1000ほど低いテラヘルツ(テラヘルツ=1012ヘルツ)帯域のパルスを用いた物質制御の新分野を開拓すべく、日夜研究に励んでいます。テラヘルツ帯域、いいかえると遠~中赤外域の光パルスを用いることで、物質中の分子振動の直接励起が可能になります。 また振動数があまりにも低いために「光」というよりは 「電波」に近い性質を持つため、物質に電極等をつけることなく、(静)電場・磁場をかけるのと類似した効果を与えることができます。

2. 光電場ベクトルのかたちを見る


 上で書いたように、最近では様々な周波数の光を制御性良く作り出せるようになりました。 そのため、いろいろな周波数の光を組み合わせることによって、これまでできなかった面白い光の使い道がうまれるようになりました。

 そのなかでも、当研究室で興味をもっている手法が「テラヘルツ時間領域分光法」という手法です。 この手法は、波長の長い「テラヘルツ光」と波長の短い「可視光パルス」を非線形結晶中でミックスさせて可視光パルスの偏光状態の変化を観察することで、まるでオシロスコープで観察するように、テラヘルツ光の電場時間波形を実験的に決定することができるというものです。 光物性物理学では、光を物にあててその反射光あるいは透過光強度がどの程度減るか(すなわち反射率、透過率)を調べて、その物質のエネルギー構造を調べることが普通でした。 しかし、「テラヘルツ時間領域分光法」を用いれば、単なる「光強度」の変化ではなく、「振幅」と「位相」という二つの変化情報が得られるため情報量が二倍になります。 二倍の情報量を用いて、実際は複素数である物質の屈折率の「実部」と「虚部」の両方を決めることができるのです。 現在はテラヘルツ周波数領域に限られていますが、この技術を突き詰めていけば、もっと波長が短い(周波数が高い)中赤外領域あるいは近赤外・可視光域の光まで、この手法を拡張することができます。最近では国内・国外グループで盛んに計測周波数域を高くする研究技術が開発されています。

 ここまでは一般的な「テラヘルツ時間領域分光法」の説明ですが、私はこの「空気中を飛んでいる光の波形が生で見える」という テラヘルツ時間領域分光法の技術にとても興味を覚えました。 これまで不可能と思われてきた、光の電場が振動する様子を生で確認できる技術が 現実のものになろうとしているのです。 そこで、私たちのグループでは少し違った視点から、 この魅力的な計測手法の価値を更に高める研究開発を進めています。 それは「振幅」「位相」に加えて「偏光」の情報も正確に測ろうという技術開発です。 光は電場の波ですから、振幅・位相情報に加えて、 「電場ベクトルはどちらを向いているのか?」、「直線偏光なのか(楕)円偏光なのか?」 という情報も含まれているのです。しかしこれまで、テラヘルツ光の正確な偏光状態を調べることは困難でした。

 私たちのグループでは非線形光学結晶の対称性を利用した 極めて高速・正確な「テラヘルツ光」の偏光計測技術を発明・開発しました。 私たちの技術を用いると、光のオシロスコープの機能に加えて、 そのベクトル波形も測れる画期的な計測装置を作ることができます。 空気中を飛ばした光が、「どのような”かたち”をしているのか」が、 ますます目に見える形になるでしょう。
[参考文献]
N. Yasumatsu, and S. Watanabe, Rev. Sci. Instrum. 83, 023104 (2012).
N. Yasumatsu, and S. Watanabe, J. Opt. Soc. Am. B 30, 2940 (2013).

3. 光電場ベクトル波形計測の光物性への応用


 光の電場ベクトル波形が計測できるようになると、光物性にとって何がうれしいのでしょうか? 光の偏光情報を用いた物性計測で良く知られている手法は「分光エリプソメトリー」です。 一般に可視光領域でよくおこなわれている分光エリプソメトリーは、 試料から反射した光の偏光状態のわずかな変化を計測することによって、 極めて正確に薄膜の厚さを決定したり、物質の複素屈折率を決定したりできる技術で 産業界にも広く普及しています。 これをテラヘルツ帯域の光でも行うことができるようになれば、 生体分子材料の低エネルギー振動モードを正確に測ることができると期待され、 実際に製品化も進められています。 私たちの手法を活用すれば、既存のテラヘルツ分光エリプソメトリー装置の高性能化が期待できます。

実際のところ、私たちの計測手法はもっと大きなポテンシャルを持つものと考えています。 テラヘルツ時間領域分光技術は、光の「振幅」「位相」「偏光」を計測できるので、 例えば光で刺激を与えた後の生体分子の振動モードの変化など、よりダイナミックな計測ができる 可能性があります。

現在のところ、テラヘルツ帯域でこれほど正確に偏光状態がわかる計測手法を 持っている人は世界的に見てもほとんどいませんので、 アイディア次第でいくらでも面白い計測を考えることができます。 その一例が、精密段差計測手法です。詳しくは下記のYoutube動画をご覧ください。

[参考文献]
N. Yasumatsu, and S. Watanabe, Opt. Lett. 37, 2706-2708 (2012).

4. 光波形計測による光と物質の相互作用の解明


光物性物理学の目的は、光が物質に照射されたときにどのような相互作用がおき、 その結果として電気が流れたり、構造が変化したりするのかを追求することです。 その際に、究極的に短いスケールでどのような相互作用が起こって様々な 機能が発現しているのかを知ることは重要です。 テラヘルツ時間領域分光法を用いると、 1サイクルの光の波の中で、どのタイミングにおいて新しい状態ができるのか、 あるいはいつ電気が流れだすのか、といった極めて詳しいことが分かるようになります。

私は、前職である東京大学理学部島野研究室において、 物質に状態変化を引き起こすのに十分な電場ピーク値を持つテラヘルツパルスの開発を進めてきました。 そのパルスを半導体物質(カーボンナノチューブ)に照射することによって、 1サイクルの光のどの部分で励起子という準粒子が産まれ、それが消えていくのかという過程を つぶさに観察することに成功しました。 このように、光電場のかたちを見ることによって、光が物質に与える影響を細かく観察していくことが 可能になるのです。 現在は、慶應義塾大学理工学部物理学科 能崎研究室との共同研究により、磁性体のパルス光照射効果を調べる研究を進めています。
[参考文献]
S. Watanabe, N. Minami, and R. Shimano, Opt. Express 19, 1528 (2011).
曽澤将昇,立崎武弘,後藤穣,渡邉紳一,能崎幸雄, 第37回日本磁気学会学術講演会(北海道大学)5pF-15(2013年9月5日).


5. テラヘルツ分光法の産業応用への道


 近年、産業界でもテラヘルツ周波数領域の光の利用が積極的に行われており、 新しい非破壊検査光源として注目を集めています。 テラヘルツ光は、可視光を透過しない衣服・プラスチック・半導体などに透過性がありますので、 私たちの眼には見えない衣服内の危険物検査や、プラスチックパッケージ製品内部の構造を 観察することができます。 特に、テラヘルツ光の偏光情報を用いれば、構造物内部のひずみの様子や、 繊維材料がどちら方向に整列しているのか、といった情報を引き出すことができます。

私たちは、独自に発明・開発したテラヘルツ光の偏光計測装置の高速化・小型化を推し進め、 実用的な非破壊検査装置の開発を目指しています。
[参考文献]
S. Watanabe et al., Sensors 13, 3299-3312 (2013).
M. Takeda, T. Tachizaki, N. Yasumatsu, S. Watanabe, "Terahertz electric-field vector camera." CLEO:2013 (San Jose, USA), CW1K.1 (June 12, 2013).

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